現在豊かな自然と田園風景ただなかにある南房総市富山町犬掛。
今から481年前の天文三年(1534)、ここで里見氏の内乱が起きました。この古戦場跡に立つと、過密な住宅化の波が押し寄せてないおかげでしょうか。心なしか往事の景色を心に描けるような気がします。
この合戦の発端は、家督を巡る一族の内紛という通説が長年浸透していた。
永正一五年(1518)、里見義通の危篤に伴い、幼少の嫡子・義豊が家督を継いだ。しかし義豊が一五歳になるまでは叔父・実堯が陣代(後見人)として家督を預かることになった。一五になっても家督を返さない実堯を不審に思った義豊は、天文二年、家臣等と謀って稲村城で実堯を殺害する。実堯の長男・義堯は「仇討ち」と称して挙兵する。やがて雌雄の決戦の舞台として、犬掛で合戦が勃発するのである。
しかし、近年の研究では上記の通説に疑問点が生じてきた。新たな発見もあり、見直しがされている。また、平成二七年三月二八日に行われた滝川恒昭先生の講義にもあるとおり、更なる発見もある等、この研究は途上といってよい。
里見氏大河ドラマ化実行委員会HPで連載された夢酔藤山作品「冬の光」は、執筆時における見直し解釈に基づき、通説ではない視点で制作された。
さて、犬掛古戦場は、
たてやまフィールドミュージアム(Copyright (C) 2010 館山市立博物館)の図示でわかるとおり、山と山に挟まれた平久里川流域で勃発した。
その空間は、ぜひ現地で感じて欲しい。
通説新説はともあれ、勝者となった里見義堯は中興の祖として戦国大名の基礎を築いたことは申すまでもない。
犬掛合戦の地へ、今年のGW、おでかけしてみませんか?
(文:夢酔藤山)